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【移住者】薬剤師×ヨガインストラクター・もえのさん 心から満たされるヨガ空間|ハロー!ブルーバード

ハロー!やかです。

「銚子に移住して来ました」と言うと、地元の方には驚かれることがとても多いです。ただ、ありがたいことに「ようこそ銚子へ!」と歓迎してくださる方が本当に多く、銚子の人々のあたたかさに日々支えられております。

実際、私たち一家のように銚子に移住してきた方は他にもいらっしゃるのでしょうか?

薬剤師として働きながらヨガクラスを開催しているもえのさんは、私が出会った移住仲間の1人です。彼女はいま、銚子という新たな土地で自分の生き方を開拓しています。

彼女と知り合ったきっかけはInstagram。しなやかにヨガのポーズを取るもえのさんの投稿が目に止まり、気がつけばもえのさんの投稿を追いかけていました。

写真を見る限りでは、穏やかで優しそうな印象のもえのさん。なぜ彼女は銚子に移住してきたのだろう?彼女は一体どのような人なのだろう?思い切ってもえのさんにInstagramでメッセージを送ったところ、彼女も私のInstagramの投稿を見ていてくれたことが分かり、会話が弾みました。こうして私ともえのさんは、同世代の移住仲間として出会うことになったのです。

今回は移住者・もえのさんの銚子暮らし、ヨガとの関わり、薬剤師のお仕事、そして彼女にとってのブルーバード(幸せの青い鳥)をお聞きしました。

取材:イノウエアヤカ/加瀬功樹 編集:イノウエアヤカ

【目次】
▼移住と同時に就職&結婚 移住新婚夫婦のチャレンジ
▼ヨガと薬剤師を両立するための ”自分らしい働き方”
▼薬剤師がリードするヨガクラス
▼アットホームな空間づくり 理想は結婚式?
▼もえのさんにとってのブルーバードとは?

▼移住と同時に就職&結婚 移住新婚夫婦のチャレンジ

もえのさんは東京都品川区の出身で、関東一長い商店街として知られる戸越銀座のほど近くで生まれ育ちました。都内のなかでも比較的”下町”と呼ばれる地域です。

2022年1月に、東京から銚子へ移住。きっかけは夫・祐也さんの就職です。祐也さんとは大学時代にゼミの研究室で出会いました。大学卒業後、祐也さんは大学院へ進み、もえのさんは病院で薬剤師として働き始めます。

祐也さんはしばらく大学院の研究室に在籍していましたが、2020年11月にヤマサ醬油(本社:銚子市新生町)の医薬・化成品事業部への就職が決定。就職と共に銚子へ移住し、もえのさんと入籍されました。

新婚生活と同時に銚子に移住したもえのさんと祐也さん。夫婦ともに、これまで銚子とは縁もゆかりもありません。

ーー銚子に移住することが決まった時、どう思われましたか?

もえの:製薬関係の研究所は地方にあることが多いので、夫と結婚するなら「いくつか地方に行く可能性もあるだろうな」と思っていました。

銚子は都内からもギリギリ行けなくないですし、スーパーもあるので生活にはそれほど困っていません。むしろ『どうせ行くならやりたいことを全部やろう!』と思って銚子に来ました。

知らない土地で暮らす不安感よりも、新生活に対する期待感の方が強かったもえのさん。彼女にとって銚子行きは、”移住”という意識よりも、結婚を機に東京を出たという感覚の方が大きかったようです。

ーー東京と銚子の生活で、何か違いを感じることは?

もえの:地元だから、もちろん東京は好きです。でも、都会の忙しない日々や人間関係に生きにくさを感じることもあり、少し離れてみたい気持ちもありました。

東京にいた頃は、出勤の日は仕事でいっぱいいっぱいで、休日も予定を詰め込めるだけ詰め込んでました。銚子に来てから一番感じることは〈余白〉が出来たことではないでしょうか。

 

▼ヨガと薬剤師を両立するための ”自分らしい働き方”

もえのさんは現在、市内の調剤薬局で薬剤師として働きながら、休日を利用してヨガのレッスンを行っています。

ーー薬剤師とヨガインストラクターの両立において、どのような働き方をするかは重要になってくると思います。

もえの最初からフルタイムで働くことはリスクがあると感じていました。知らない土地で、ライフスタイルがどうなるのか分からなかったので。

ただ、知らない土地だからこそ、「これまでの自分にとらわれず、新しいライフスタイルを作れるチャンスだ!」と気がついたんです。「せっかくならやりたいことにチャレンジしてみたい!」大好きなヨガができる時間が欲しいと思い、仕事は週4日の勤務にしました。

また履歴書に「今後ヨガの知識を予防医療に役立てたい」と書いたところ、面接担当の方から「やってみたら良いよ!」と前向きな反応をいただき、今の会社に入社を決めました。

初レッスンは職場のスタッフに集まっていただき、開催することができました。

お話を聞きながら、もえのさんのヨガへの情熱を感じるとともに、職場の理解や周囲からのサポートがあって実現できていることが伝わってきました。

ーー職場の方に対してレッスンをしたことで、何か得るものはありましたか?

もえの:うちの薬局は店舗が複数あります。基本的には店舗ごとでの業務のため、今まで交流がなかった同僚とのつながりが生まれました。顔見知りのスタッフが増えて、お互い仕事がしやすくなった気がします。

ーーそれは会社にとっても良い取り組みになっていますよね。実現できたのは社長の理解が大きい気がします。

もえの:実はうちの社長は、薬剤師ではないんです。あくまでも経営者。だからこそ、面白いと思ったことはやらせてくれる。その社風に魅力を感じて、今の薬局で働くことを決めました。今後は薬局内にチラシやポスターを掲示したいと思っていて、現在交渉中です。

DELKUI大学生インターンの加瀬くん(右)の取材に応じる、もえのさん(左)。「働く」をテーマに学ぶ彼に、薬剤師の仕事について教えていただきました。

自分らしい生き方を後押ししてくれる職場環境があることは、いま社会課題となっている〈女性の働き方〉においても、大変明るい環境だと思います。

新婚のもえのさんにとって、これから出産や育児といったライフステージの変化に応じて、働き方やヨガとの向き合い方も変わる可能性があります。企業側の柔軟な考え方が働き手の可能性を広げ、今後の活躍次第では新たな事業展開に結びつくチャンスになると感じました。

▼薬剤師がリードするヨガクラス

もえのさんのヨガクラスでは、最初からポーズを取ることよりも身体をほぐしリンパの流れを良くしていく『セルフマッサージ』の時間を長めに取っています。

この日は千葉科学大の学生さんがレッスンに参加しました。男性の参加者もおり、もえのさんのクラスでメンズ第1号です。

もえの足の指やふくらはぎ、肩や首周りの筋を優しくさすって動きを良くしてからヨガのポーズにはいっていくようにしています。しっかりほぐしてからポーズを取ると、ポーズの取りやすさ、心地よさが違うなと感じています。参加者からも好評で、ホームケアに取り入れられるので学びを持ち帰ってもらえると思います。

私も実際にもえのさんのヨガクラスに参加してみましたが、薬剤師としての知識や経験がヨガに活かされている実感がありました。骨の構造やリンパの流れ、血流の動きを理解したうえで、参加者1人1人に合ったヨガを丁寧に伝えている印象を受けました。

レッスン後のもえのさん(右)と、血流が良くなりぽわぽわしている筆者・やか(左)の様子。

もえの:仕事柄、何かしらの悩みを抱えた方と毎日接しています。患者さんを見ると「みんな一回ヨガやってみない?」と思うことがあるんです。身体が軽くなったり、気持ちが明るくなるかもしれない。ヨガの心と身体を整える効果はもちろん、誰かと一緒にポジティブな時間を共有できることで人生が豊かになると感じています。自分は「先生」という立場より、その空間を共にできる「仲間」でありたいです。

 

▼アットホームな空間づくり 理想は結婚式?

もえのさんが目指すヨガクラスの”空間”とは、どんなものなのでしょうか?その理想形としているのは、自分たちの結婚式だそうです。

もえの:私と夫はゼミの研究室で出会ったこともあって、教授も含めて仲間がたくさんいたんです。それがコロナ渦で散り散りになってしまい、同時期に教授も退官してしまって、研究室もなくなってしまいました。

だからこそ、結婚式は同窓会をテーマに開きました。みんなが心の底から楽しんでくれて、「やってくれてよかった!」と言ってくれてたことが嬉しかったです。みんなの笑顔が見れたことが本当に幸せでした。

その時に「ヨガでも同じ空間が作れたらいいな」と思ったんです。ヨガでも、みんながリラックスしてポジティブな空気感が漂うと、魂から満たされる時があります。誰かが笑顔で楽しんでいる姿が見れた時、自分も役に立てたのかなと思えました。

一見すると全く共通項がないような〈結婚式〉と〈ヨガ〉。しかし会場の一体感や高揚感を共有したあと、フィナーレに向かう静けさや感動は一つのドラマのよう。終わったあとの多幸感は、同じ時間を共有した人たちにしか分からない体験があるように思います。

もえの:本当は、人前に立って何かするのは得意ではないんです。でもヨガに出会って、ありのままの自分でいていいと教わってから、リラックスした状態で素の自分と向き合えるようになりました。そうしたら、自分は本来楽しいことが好きなのかもしれないと気づいたんです。

ヨガは自分がやりたくてやっているので、正直自分のためにやっている部分が大きいです。でも自分も整って、みんなもヨガでリラックスできれば、やりがいを実感できるのかなと。

私たちはあいまいな中で生きているけれど、上辺じゃなく、心の底から笑って、リラックスできると良いなと思います。その場に自分もいて、誰かの幸せに役立てたら嬉しいです。

 

▼もえのさんにとってのブルーバードとは?

ーー最後に、もえのさんにとってのブルーバード(幸せの青い鳥)とは何でしょうか?

もえの:私にとってのブルーバードは『大切な人 みんなのしあわせ』です。大切な人とは、家族はもちろん、周りの方みんなです。みんなが楽しくなる場所をつくりたいというのが一番大きいと思います。なぜなら、一緒に過ごした人たちが「楽しい」とか、「リラックスできた」といったポジティブな感情が生まれることで、私も喜びや幸せを感じられるからです。
周りの人たちの幸せが、私に幸福感を運んできてくれる「幸せの青い鳥」なのかな、と今は感じています。みんなの間で幸せの青い鳥が飛び交うような、そんな場所を作ることが私の夢です。

 

もえのさんは、相手に対して「幸せにしてあげたい」とか「こうすれば良いのに」という押しつけではなく、純粋に「自分がやりたくてやっているだけ」なのだと感じました。

柔らかく、穏やかな雰囲気をまとった彼女が、なぜ凛と美しく自らの道を進むことが出来ているのか?その答えは、彼女が自分に対して素直に生きているからなのだと思います。

 

次回は、もえのさんがチャレンジするきっかけとなったヨガインストラクターの後藤ユカリ先生と、もえのさんの夫・祐也さんにインタビュー!お二人から見たもえのさんの人柄を探ると共に、もえのさんのキーマンであるユカリさんと祐也さんにとっての〈ブルーバード〉もお聞きしたいと思います。

どうぞお楽しみに!

やか/イノウエアヤカ

1992年生まれ。横浜出身・銚子在住。
2011年、大学入学時にロックバンド・phonegazer(フォンゲイザー)を結成。ボーカルとして作詞・作曲を担う。同年、音楽ライターとしてフリーで活動開始。2015年にライブハウスシーン情報サイト・OTOZINEを創設、編集長を務める。2016年のバンド解散後、広告制作プロダクション、業界新聞、地方公務員へと転職し、クリエイティブと地域活性化の関わりに関心を持つ。
結婚、出産、実母の急逝、心身の不調などが続き、2022年10月、千葉県銚子市へ移住を決意。現在、脱サラ漁師の夫と長男の3人で、スローライフを大切に人生をリスタートしている。

 



【移住暮らし】自治体指定ごみ袋ってなに? 銚子のごみ袋は高いのか、安いのか|ハロー!ブルーバード

ハロー!やかです。

自治体指定のごみ袋を使ったことはありますか?

銚子市では有料の自治体指定ごみ袋があり、普通ごみと資源ごみは指定ごみ袋に入れないと回収をしてくれません。

横浜市では指定ごみ袋がありません。初めて出会ったとき「これが噂の…有料ごみ袋!」と、カルチャーショックでした。今まで一度もごみ袋にお金を出したことがなかった自分としては、なぜ有料でごみ袋を買う必要があるのか疑問だったのです。

子育てをしている自分としては、家庭の出費を少しでも抑えたいのが本音のところ…。なぜごみ袋にお金を出さなくてはいけないのか?どのくらいの自治体が有料になっているのか?生活に欠かせないごみの問題。調べてみると、ちょっとディープで面白いことが分かってきました。

【目次】

▼そもそも自治体指定ゴミ袋ってなに?

▼全国で8割以上の自治体が指定ゴミ袋を導入

▼東総3市の広域処理でごみ袋の値下げに

▼結局、銚子のごみ袋は高いの?

▼他の地域はどうしている?自治体ごとの指定ごみ袋制度

▼家中が資源ごみの山!回収頻度の少なさと家庭ごみの排出量

 

そもそも自治体指定ゴミ袋ってなに?

全国には市区町村によって、ごみ袋を指定している地域があります。
銚子市もその一つ。普通ごみ(オレンジ色)と資源ごみ(水色)の2種類が、市内のスーパーやコンビニなどの取扱い店舗で有料販売されています。

指定ごみ袋(令和3年4月から)
指定ごみ袋の種類 袋の色 大きさ 料金
普通ごみ専用袋(大) オレンジ 45リットル相当 450円(10枚1包装)
普通ごみ専用袋(小) オレンジ 20リットル相当 200円(10枚1包装)
資源ごみ専用袋(大) 水色 40リットル相当 200円(10枚1包装)
資源ごみ専用袋(小) 水色 20リットル相当 100円(10枚1包装)

引用:銚子市ホームページ

私が住んでいた横浜市では、透明か半透明の袋に入れていれば、袋は何でもオッケー。レジ袋に入れて出したり、スーパーや100均で売っているゴミ袋を買って来てゴミを出していました。

イオンで売られているごみ袋。イオンでは半透明のごみ袋(45リットル)が50枚入りで定価198円。

イオンのごみ袋と価格を比較すると、イオンが1枚3.96円に対して銚子市の普通ごみ袋は1枚45円(ともに45リットル)。どうしても銚子の指定ゴミ袋は高い印象があります。家計的には地味な出費です。

 

全国で8割以上の自治体が指定ゴミ袋を導入

しかし環境省によると、令和2年度の調査で82.6%の自治体が指定ゴミ袋を導入していることがわかりました。しかも人口が少ない自治体ほど導入率が高い傾向があります。

令和2年度バイオマスプラスチック利活用検討業務 報告書 – 環境省

指定ごみ袋を導入する自治体は年々右肩上がりで、そのほとんどが有料。ごみ袋の手数料を徴収することで、ごみ処理にかかる費用を住民が負担する仕組みです。

横浜市に住んでいる時は、普通ごみの処理費用など考えたこともありませんでした。しかし自分たちが出したごみを無料で回収、処理してくれていると考えれば、ごみ袋を購入する理由にも納得できました。

 

東総3市の広域処理でごみ袋の値下げに

有料とはいえ、銚子市の指定ごみ袋は価格の値下げを行ったばかり
値下がりの理由は、銚子市・旭市・匝瑳市が新設した広域処理施設・東総地区クリーンセンターが運用を開始したことで、ごみ袋を統一化したことがきっかけです。

東総地区クリーンセンターでは、銚子市・旭市・匝瑳市のごみを高熱融解処理することで、資源化物質の取り出しや二酸化炭素の排出量削減、熱融解による発電も可能です。
各市内の処理施設が老朽化し、改装するよりもコストが削減できることから新設されました。

東総地区クリーンセンター ホームページ

センターの導入にともない、3市の指定ごみ袋のサイズと価格を統一したことで、結果的に全ての市でごみ袋の価格が値下がりしました。新しい処理施設により、環境にも優しく、家計にも優しくなったことは住民としても非常に嬉しいですよね!

 

結局、銚子のごみ袋は高いの?

値下がりしたとは言え、1枚45円の普通ごみ袋は高いのか安いのか?
さらに調べてみると、北海道の指定ごみ袋に関する記事がありました。

1枚120円! 北海道のごみ袋が高いんです – NHK

室蘭市の指定ごみ袋は10枚800円。ちなみに道内トップクラスは士別市の1枚135円(45リットル)でした。
北海道は全体的にごみ袋が高い!銚子の1枚45円が安く感じてしまいます。

同記事で東洋大学名誉教授の山谷氏が調査した東京23区を含む全国815の市区の調査結果によると、ごみ袋を有料化している59%の市区において、ほとんどが1枚50円以下で販売されていることがわかりました(容量は40〜45L)。

全国市区町村の家庭ごみ有料化実施状況 (2018年10月現在) ー山谷修作ホームページ

結論として、銚子の指定ごみ袋は全国平均か、少し高めくらいの価格と言えそうです。

10枚800円の自治体もあることを思えば、私が今まで支払っていなかったことが恵まれた環境だっただけで、銚子の指定ごみ袋の料金には価値があるものだと感じてきました。

 

他の地域はどうしている?自治体ごとの指定ごみ袋制度

そのほか千葉県内では、野田市が指定ごみ袋の無料引換券を配布する制度や、千葉市がイオンテールと協力して有料レジ袋の代わりに市の指定ごみ袋を販売する施策を行っています。

また指定ごみ袋は自治体ごとにデザインも異なります。

多言語に対応したごみ袋や、雪の中でも見つけやすい色のごみ袋、環境に配慮した素材で作られたごみ袋など、自治体ごとの特色を感じることができます。

自治体ごとにごみ袋はこんなに違う 千差万別のなぜ

 

家中が資源ごみの山!回収頻度の少なさと家庭ごみの排出量

他にも移住してから感じているごみ出しルールの驚きとして、資源ごみ回収日の少なさがあります。

我が家は夫婦そろって晩酌をするので、缶ビールの消費がとっても多いのです。銚子市では月1~2回程度の缶ごみ回収を行っていますが、我が家にとっては缶ごみが自宅に溜まってしまい、家の外にごみ箱を設置することにしました。

ところが銚子は風が強く、特に我が家はキャベツ畑と風車の街。紐でぐるぐる巻きにして括り付けても、よく吹っ飛んでいってしまうので困っています。飛ばないように業者用のごみ箱を買うか悩みましたが、賃貸なので購入する決心がつかないまま…。

本当はビールを飲む量を減らせばよいのですが、晩酌が生き甲斐の一つなので苦しいところです。ビール好きのみなさん、なにか良いアイディアはありませんか?

また子どもがミルクを飲むためにウォーターサーバーを使っているので、水が届く度に段ボールの山が出来てしまいます。段ボールは外に出すと雨に濡れてしまうので、どうしても屋内においておくしかありません。みなさんは、段ボールの保管や、段ボールを減らすために何か取り組まれていることはありますか?

今回は指定ごみ袋の価格について取り上げましたが、改めて自分たちのライフスタイルを見直すきっかけにもなりました。みなさんはどのように思われましたか?ぜひコメントもお寄せください♪

 

やか/イノウエアヤカ

1992年生まれ。横浜出身・銚子在住。
2011年、大学入学時にロックバンド・phonegazer(フォンゲイザー)を結成。ボーカルとして作詞・作曲を担う。同年、音楽ライターとしてフリーで活動開始。2015年にライブハウスシーン情報サイト・OTOZINEを創設、編集長を務める。2016年のバンド解散後、広告制作プロダクション、業界新聞、地方公務員へと転職し、クリエイティブと地域活性化の関わりに関心を持つ。
結婚、出産、実母の急逝、心身の不調などが続き、2022年10月、千葉県銚子市へ移住を決意。現在、脱サラ漁師の夫と長男の3人で、スローライフを大切に人生をリスタートしている。

 



わたしと音楽の出会い リトミックからピアノ、歌うこと|ハロー!ブルーバード

ハロー!やかです。

先日、ブログの特集記事のために取材をさせていただきました!
昨年、2022年5月に東京から移住してきた、薬剤師でヨガインストラクターのもえのさんです。
もえのさんは次回以降のブログでたっぷり特集させていただきます。どうぞお楽しみに!

薬剤師×ヨガ もえのさん

ブログで取材をさせていただくにあたり、必ずお聞きしている一言があります。それは…
「あなたにとってのブルーバード(幸せの青い鳥)を教えてください」

すると、人によっては大変悩ませてしまうことが分かりました(笑)。確かに非常に抽象的な質問ですし、正解のない問かけです。

では「自分にとってのブルーバード」は何か?他人に聞く前に、まず自分に問うことにしました。

ということで、今回のブログはわたしにとってのブルーバードとは何か?

ズバリ、それは「音楽」です。

【目次】
▼はじめての音楽 リトミックとピアノ
▼ピアノの練習が大嫌い 耳コピだけが唯一のカギ
▼カラオケ一家の不思議な縁
▼合唱が独唱になってしまう
▼歌が歌える限り、生きていたい

▼はじめての音楽 リトミックとピアノ

話し出すと止まらない、私と音楽の関係。

元バンドマンだったお話は前回のブログでも触れたと思いますが、今回は私と音楽の出会いについてです。

私が最初に音楽と出会ったのは、0歳児向けのリトミック体験教室でした。

私の実家には母のアップライトピアノがあります。祖母が母に習わせたいと買ったものだそうなのですが、残念ながら母には全くピアノの才能がなかったそうです。せっかく家にあるのに誰も弾かないのは勿体ないと、私にピアノを習わせたいと思っていたところ、まずリトミック体験に足を運びました。

そこでピアノ教室の恩師・京子先生と出会います。

京子先生は私と同い年の息子さんがおり、0歳児クラスの体験リトミック教室で出会いました。京子先生が自宅でピアノ教室を立ち上げてから生徒として通い、今でも娘のように可愛がってくださっています。

やかの結婚式に参列してくださった、ピアノ講師の京子先生(右)

▼ピアノの練習が大嫌い 耳コピだけが唯一のカギ

とはいえ、自分のピアノの腕前は「超普通」です。とにかく練習が大嫌いでした。京子先生を呆れさせてばかりだったと思います。

練習はしてこない、楽譜を読むのが面倒くさい(実際あまり読めなかった)。
ただ良くも悪くも“耳がよい”タイプで、クラシック音楽では必須となる読譜の技術をすっ飛ばし、耳で覚えて弾いていました。いわゆる耳コピというやつです。

絶対音感と言われるレベルまではないと思っています。ただ、相対音感という「他の音と比較したときに、どの音か分かる」程度の音感は今でもあります。

なので歌番組やカラオケ番組などで「音が外れた」とか、演奏している際に「今の部分、あの楽器の人だけ音間違えた」みたいなことは分かります。

ピアノに関してはやる気の問題もあって、完璧な耳コピではありませんでした。適当に聞いて、適当に弾いているだけなので、楽譜通りの弾き方をしていない部分が多々でてきます。

当然、京子先生にはバレバレなのです。
「また練習してこなかったでしょう!耳で聴いても、楽譜通りに弾かないとダメじゃない!」
怒られることもありましたが、諦めずに指導していただいた京子先生には本当に感謝です。今になって「あの時、先生が言っていたのはこういうことだったのか!」と思うことが多くあります。

▼カラオケ家族と不思議な縁

ピアノは上手になりませんでしたが、歌だけは今でも唯一自慢できる特技です。

ピアノが弾けなかった母も歌は得意でしたし、母方の祖父も歌は好きだったそうです。祖父の実家がある愛媛県宇和島市に行った際、親戚がカラオケ好きばかりで「歌の血筋はここからか」と思った覚えがあります。

我が家はとにかくカラオケ一家でした。
母が乳がんで入院する直前にも「これが最期かもしれないから」と言って当時0歳の息子を連れてカラオケに行きました。母とのカラオケは本当にそれが最期になりましたが、0歳の息子にとっては最初のカラオケデビューでした。

家族でカラオケに行ったときの実母(左)と息子(右)

▼合唱が独唱になってしまう

私の通っていた小学校では、小学校4年生から6年生だけが入れる「特設合唱クラブ」というものがありました。
「クラブ活動の時間」とは異なり、朝や放課後に練習して市大会を目指すクラブでした。私は4年生と6年生の時にクラブに参加しています。

合唱クラブの指導者は、音楽教諭の”美しい美しいマツナガ先生(自称)”です。
何より練習がスパルタだったのが美しさの秘訣でしょうか…。おかげさまで私は歌の必須アイテム、腹式呼吸を手に入れました。

中学、高校では学校内で合唱コンクールが存在しました。美しいスパルタ教育の成果で、私の音域はソプラノもアルトも歌うことが可能でした。結果、アルトパートが足りない時にはアルトを、ソプラノパートが足りない時にはソプラノを歌うことに

もともとカラオケで鍛え上げ、人より声量が大きく、腹式呼吸を手に入れた私は、全校生徒で斉唱しても私の声だけが聞こえていたそうですと保護者や先生から「今日もよく聞こえたよ!」と言われることもしばしば。ほとんど独唱です。

▼歌が歌える限り、生きていたい

最初は恥ずかしい思いもありました。もともとイジられキャラで、ちょっとしたことでからかわれることが多かった気がします。それでも歌に関してだけは誰かにイジられたり、バカにされることもありませんでした。堂々と胸を張って「そうです、私の歌はちゃんと届くんです」と思えました。

結果として私が音楽を好きでいられる理由の一つに「歌が歌える喜び」というものがあるのだと思います。

歌は、いつどこにいても奏でられる身体の楽器です。歌を歌うためには健康でいなくてはなりませんし、歌を歌うと元気になります。

バンドが解散したあと久しぶりに歌ったとき、自分の声量不足や腹筋の衰えにショックを受けたことがあります。いつでもまた歌えるように身体を整えようとヨガを始めました

落ち込んでいた時はできるだけ歌を歌いに行きました。歌う際に一番大切なことは呼吸です。それだけで身体中に酸素と血液が循環して、元気になりました。

「歌が歌えるなら、生きている価値は一つあるな」と感じつつ、最近は息子と一緒に「きらきらぼし」を歌いながら帰路についています。

JR銚子駅前のストリートピアノを弾く、やかと息子。

やか/イノウエアヤカ

1992年生まれ。横浜出身・銚子在住。
2011年、大学入学時にロックバンド・phonegazer(フォンゲイザー)を結成。ボーカルとして作詞・作曲を担う。同年、音楽ライターとしてフリーで活動開始。2015年にライブハウスシーン情報サイト・OTOZINEを創設、編集長を務める。2016年のバンド解散後、広告制作プロダクション、業界新聞、地方公務員へと転職し、クリエイティブと地域活性化の関わりに関心を持つ。
結婚、出産、実母の急逝、心身の不調などが続き、2022年10月、千葉県銚子市へ移住を決意。現在、脱サラ漁師の夫と長男の3人で、スローライフを大切に人生をリスタートしている。


【魚市場業務日報】銚子市漁業協同組合地方卸売市場

<1月 18日水揚げ量>
旋網(いわし)隻数=2     数量=294.6t
旋網(あじ) 隻数=1 数量=0.7t
旋網(さば) 隻数=17  数量=1768.3t
旋網(その他)隻数=18  数量=147.9t
底曳(打瀬)     隻数=5     数量=7.3t
底曳(小型)     隻数=6     数量=3.4t
廻船底曳   隻数=5     数量=5.2t
その他    隻数=39  数量=5.5t
合計     隻数=96 数量=2261.2t



一家で銚子に移住!その理由とは?|ハロー!ブルーバード

あけましておめでとうございます。

本年より、移住ブログ「ハロー!ブルーバード」を始動することになりました!銚子円卓会議DELKUIインターン第6期生のイノウエアヤカです。どうぞ気軽に「やかちゃん」と呼んでください!

今回は移住者ブログ「ハロー!ブルーバード」の第1回目です。
取材や執筆を通じて、地域のことをたくさん知りたいと思っています。良いご縁がありますように。どうぞよろしくお願いします!

ハロー!ブルーバードについては予告編もチェックしてくださいね。DELKUIブログ開設のお知らせ

【目次】
▼横浜から移住 夫は脱サラ漁師へ
▼銚子の気候、景色、人柄に触れる
▼銚子の「面白そう」を探す街探検
▼書くことを仕事にしたいという思い

▼横浜から移住 夫は脱サラ漁師へ

今回は、私たち井上ファミリーが銚子に移住するまでのきっかけをご紹介したいと思います。

予告編で触れたように夫は銚子で漁師になりました。きっかけは、私のライブ仲間かつ飲み仲間・だいちゃんからのお誘いです。(夫とだいちゃんについては、改めて特集する予定です!)

だいちゃん(右端)と夫のゆうた(左)。銚子の居酒屋Bar酒論たかしまにて。

漁は期間が決まっていて、冬から春先の約半年間しか仕事がありません。

夫はもともとITエンジニアでしたが、第一次産業への転職が夢でした。それなら「漁期だけ単身赴任に行けば良いのでは」と提案したところ、夫は脱サラを決意します。

しかし単身赴任前に私の実母が急逝。私が心身の不調を抱えていたこともあり、夫の銚子行きに付いていかない理由がありませんでした。こうして、私は移住に対してかなり後ろ向きなスタートを切ったのです。

▼銚子の気候、景色、人柄に触れる

それから物件探しに銚子を訪れた夏のある日のことです。車から降りた瞬間、爽やかな気候が「あ、すごく気持ちいい」と感じました。

物件の下見に訪れた際も隣家の住民の方が「こんにちは」と挨拶をしてくださり、とても好印象でした。その物件に決めて自宅へ帰ったあと、移住に対する高揚感に気づきます。

意識していなかったけれど、実家で同居していたことへの解放感があったのか。銚子の魅力を感じたのか。理由は正直まだ分かりません。

でも、せっかくなら移住後は楽しく生きていきたい。やりたいことをやりたい。

自分の気持ちを抑えられず、移住後に早速行動を開始します。

▼閉じ込めていた「行動力」と「積極性」

まずはInstagramや市役所の掲示板、広報誌、フリーペーパーなどを読み漁り(フリーペーパー収集が趣味の一つです)、自分が興味を持った内容をリストアップしてみました。

市内の大小さまざまなイベントに足を運び、出展者やSNSで見つけた面白そうな人に会いに行く銚子探検の日々が始まります。

銚子で最初に訪れた銚子観音フードマルシェの様子。天候もよく、幅広い年齢層の方が集まっていました。駐車場は一時満車になるほど。

イベントの主催者は住民主体になっていることも多く、出展者の熱意も非常に高い印象を受けました。来場した私たちも、そのパワーをたくさんもらえた気がします。

私と夫は大学在学中から7年間バンド活動をしていました。CDのリリースやMVの制作、地方へのツアーにも行きました。解散後はそれぞれ仕事もして、のちに結婚します。

移住先で出会った人たちと話すなかで、ずっと心の中で「やりたい」と叫んでいた自分の気持ちがようやく表に出てきました。バンドがやりたくて必死にメンバーを探していた時の自分を思い出し、本来の自分の在り方を取り戻しつつあります。

結婚式の二次会では元メンバーとライブをしました。写真中央の新婦がやか、新婦右隣が夫のゆうた。

▼書くことを仕事にしたいという思い

書きたい、という気持ちは自分の中にずっとあった思いです。バンドを職業にすることが難しいのは重々承知していたので、せめて音楽ライターと両立できないかと考えていました。

音楽ライター養成講座に通い、講師の方が取材した音源の文字起こしのバイトをやっていました。音楽系のWEBマガジンを立ち上げたこともあります。

バンドを解散したあとは、広告制作プロダクションで営業の仕事をしました。なぜバンドが売れなかったのか。どのようにPRすれば良かったのか。ヒントを探すために選んだ就職先でした。しかし、やっぱり自分もプレイヤーでいたいという思いから、業界新聞の記者に転職します。

転職や結婚、身心の不調、出産、そして母との死別。目まぐるしい日々を過ごしました。そしていま、移住先で辿り着いた銚子円卓会議で「移住者ブログ」にチャレンジしています。

ただ、書きたいなら勝手に一人でやれば良いはず。それでも銚子円卓会議の力を借りたいと思ったのは、一人で始めることの怖さがあったからです。

知らない土地、書くことへのブランク、心身の不調に対する怖さ。そもそも最初に銚子円卓会議の事務局を訪れた際には、他にもやりたいことがあって、かなり迷っている状況でした。

そこで事務局コーディネーターの西田さんと対話を重ね、ようやく「書く」という決断に至りました。それはたった1日の出来事でしたが、今まで何度もやるかやらないかを決めかねていた自分が、ようやく一歩踏み出した日でした。

 

移住者ブログ「ハロー!ブルーバード」という挑戦から、1人の人間の人生がどう変化するのか?地域で活躍できる人材になれるのか?

イノウエアヤカという30歳の1人の女性が、暮らしの幸せを探す旅はまだまだ始まったばかりです。

 

やか/イノウエアヤカ

1992年生まれ。横浜出身・銚子在住。
2011年、大学入学時にロックバンド・phonegazer(フォンゲイザー)を結成。ボーカルとして作詞・作曲を担う。同年、音楽ライターとしてフリーで活動開始。2015年にライブハウスシーン情報サイト・OTOZINEを創設、編集長を務める。2016年のバンド解散後、広告制作プロダクション、業界新聞、地方公務員へと転職し、クリエイティブと地域活性化の関わりに関心を持つ。
結婚、出産、実母の急逝、心身の不調などが続き、2022年10月、千葉県銚子市へ移住を決意。現在、脱サラ漁師の夫と長男の3人で、スローライフを大切に人生をリスタートしている。


【魚市場業務日報】銚子市漁業協同組合地方卸売市場
<12月 26日水揚げ量>
底曳 (打瀬) 隻数=2    数量=2.1t
廻船底曳   隻数=3     数量=2.8t
その他    隻数=4     数量=0.8t
合計     隻数=9 数量=5.8t

<12月 27日水揚げ量>
底曳 (打瀬)    隻数=2     数量=2.2t
底曳(小型) 隻数=6     数量=2.1t
廻船底曳   隻数=2     数量=1.5t
その他    隻数=44   数量=6.7t
合計     隻数=54    数量=12.5t

<12月 28日水揚げ量>
旋網(さば) 隻数=9     数量=430.7t
旋網(その他)隻数=13  数量=405.6t
底曳(打瀬)     隻数=7     数量=5.8t
底曳(小型)     隻数=6     数量=3.6t
廻船底曳   隻数=5     数量=4.2t
その他    隻数=52  数量=5.2t
合計     隻数=92 数量=855.2t



【予告!】令和5年1月 DELKUIインターン発の移住者ブログ「ハロー!ブルーバード」スタート!

2022年もあと少しですが、はじめまして!
DELKUIおとなインターンとして銚子円卓会議に参加することになりました 井上彩可(いのうえあやか)と申します。

令和5年1月より、DELKUIインターンによるブログ「ハロー!ブルーバード」をスタートさせることになりました!
今回はブログの予告編として、どんな内容のブログなのか?そもそも井上は何者なのか?といったことを簡単にご紹介したいと思います。

【目次】

・移住ファミリーの母 “やか” こと井上彩可は何者?
・生活とは、小さな変化の積み重ね
・移住者のブログ「ハロー!ブルーバード」
・出る杭を伸ばす風土「DELKUI」のインターン制度から誕生

 

移住ファミリーの母 “やか” こと井上彩可は何者?

わたくし井上彩可(通称やか)は1992年7月生まれの神奈川県横浜市出身。今年、2022年10月に横浜市から一家で銚子市に移住した移住者インターンです。

銚子市在住で漁師の友人から誘いを受けITエンジニアの夫が脱サラを決意。2歳の息子を連れて一家で移住生活をスタートさせました。
いざ移住したものの、自身のキャリアに悩みを抱えていたところ、さまざまな縁がつながって今回のブログ開設に至りました。

 

生活とは、小さな変化の積み重ね

移住すると、家探しから買い物、交通網、ゴミ出しのルールも変わってきます。
こうした当たり前のことは、大きなメディアでは語られなくても暮らしにおいて重要なことです。

移住者たちは「今までと違う」ことに気づきますが、同時に、住み慣れた地域にいる時は「まったく意識しないで暮らしていた」ことにも気づきます。

わたしたちはいま、自らの働き方や人生を見つめなおす、時代の大きな転換期を生きているように思います。

コロナ禍を経て、物価上昇や賃金の停滞といった日本経済の低迷に直面する中で、「移住」という言葉も、これまで以上に注目されている、身近な暮らしのキーワードになりました。

 

移住者のブログ「ハロー!ブルーバード」

令和5年1月からスタートするブログ「ハロー!ブルーバード」は移住者の目線で、銚子市に移住した人々を中心に移住者の生活や心の変化などを紹介します。

移住者や地域の人が思う幸せの青い鳥(ブルーバード)とは何か?をテーマに、支えてくれるモノ、大切に思うモノ、感銘を受けたコト、生活に欠かせないおカネのことなど、ご紹介していきたいと考えています。

 

出る杭を伸ばすDELKUIのインターン制度から誕生

これまで銚子円卓会議は、まちづくりに関わる多様な主体が連携し「ヒト」「モノ」「コト」「カネ」など地域資源を発掘・育成・架橋することで、地域課題の解決に取り組んできました。

DELKUIは、海に突き出た半島の街・銚子で「出る杭を伸ばす風土を、文化に」することを目指して、銚子域内外の大学生、地元中高生を対象に地方創生インターンシップ事業としてスタートしました。
2021年度には、社会人の関係人口を含むプロボノコーディネートチームを創設し、分野を横断したつながりのサポート体制が整いつつあります。

こうした活動を経て、新たにスタートするブログ「ハロー!ブルーバード」は、DELKUIおとなインターンのわたくし”やか”を中心に、発信していきます。

新しい年の始まりと共にスタートする移住者ブログ「ハロー!ブルーバード」。応援どうぞ、よろしくお願いいたします!