ハロー!やかです。

先日、ブログの特集記事のために取材をさせていただきました!
昨年、2022年5月に東京から移住してきた、薬剤師でヨガインストラクターのもえのさんです。
もえのさんは次回以降のブログでたっぷり特集させていただきます。どうぞお楽しみに!

薬剤師×ヨガ もえのさん

ブログで取材をさせていただくにあたり、必ずお聞きしている一言があります。それは…
「あなたにとってのブルーバード(幸せの青い鳥)を教えてください」

すると、人によっては大変悩ませてしまうことが分かりました(笑)。確かに非常に抽象的な質問ですし、正解のない問かけです。

では「自分にとってのブルーバード」は何か?他人に聞く前に、まず自分に問うことにしました。

ということで、今回のブログはわたしにとってのブルーバードとは何か?

ズバリ、それは「音楽」です。

【目次】
▼はじめての音楽 リトミックとピアノ
▼ピアノの練習が大嫌い 耳コピだけが唯一のカギ
▼カラオケ一家の不思議な縁
▼合唱が独唱になってしまう
▼歌が歌える限り、生きていたい

▼はじめての音楽 リトミックとピアノ

話し出すと止まらない、私と音楽の関係。

元バンドマンだったお話は前回のブログでも触れたと思いますが、今回は私と音楽の出会いについてです。

私が最初に音楽と出会ったのは、0歳児向けのリトミック体験教室でした。

私の実家には母のアップライトピアノがあります。祖母が母に習わせたいと買ったものだそうなのですが、残念ながら母には全くピアノの才能がなかったそうです。せっかく家にあるのに誰も弾かないのは勿体ないと、私にピアノを習わせたいと思っていたところ、まずリトミック体験に足を運びました。

そこでピアノ教室の恩師・京子先生と出会います。

京子先生は私と同い年の息子さんがおり、0歳児クラスの体験リトミック教室で出会いました。京子先生が自宅でピアノ教室を立ち上げてから生徒として通い、今でも娘のように可愛がってくださっています。

やかの結婚式に参列してくださった、ピアノ講師の京子先生(右)

▼ピアノの練習が大嫌い 耳コピだけが唯一のカギ

とはいえ、自分のピアノの腕前は「超普通」です。とにかく練習が大嫌いでした。京子先生を呆れさせてばかりだったと思います。

練習はしてこない、楽譜を読むのが面倒くさい(実際あまり読めなかった)。
ただ良くも悪くも“耳がよい”タイプで、クラシック音楽では必須となる読譜の技術をすっ飛ばし、耳で覚えて弾いていました。いわゆる耳コピというやつです。

絶対音感と言われるレベルまではないと思っています。ただ、相対音感という「他の音と比較したときに、どの音か分かる」程度の音感は今でもあります。

なので歌番組やカラオケ番組などで「音が外れた」とか、演奏している際に「今の部分、あの楽器の人だけ音間違えた」みたいなことは分かります。

ピアノに関してはやる気の問題もあって、完璧な耳コピではありませんでした。適当に聞いて、適当に弾いているだけなので、楽譜通りの弾き方をしていない部分が多々でてきます。

当然、京子先生にはバレバレなのです。
「また練習してこなかったでしょう!耳で聴いても、楽譜通りに弾かないとダメじゃない!」
怒られることもありましたが、諦めずに指導していただいた京子先生には本当に感謝です。今になって「あの時、先生が言っていたのはこういうことだったのか!」と思うことが多くあります。

▼カラオケ家族と不思議な縁

ピアノは上手になりませんでしたが、歌だけは今でも唯一自慢できる特技です。

ピアノが弾けなかった母も歌は得意でしたし、母方の祖父も歌は好きだったそうです。祖父の実家がある愛媛県宇和島市に行った際、親戚がカラオケ好きばかりで「歌の血筋はここからか」と思った覚えがあります。

我が家はとにかくカラオケ一家でした。
母が乳がんで入院する直前にも「これが最期かもしれないから」と言って当時0歳の息子を連れてカラオケに行きました。母とのカラオケは本当にそれが最期になりましたが、0歳の息子にとっては最初のカラオケデビューでした。

家族でカラオケに行ったときの実母(左)と息子(右)

▼合唱が独唱になってしまう

私の通っていた小学校では、小学校4年生から6年生だけが入れる「特設合唱クラブ」というものがありました。
「クラブ活動の時間」とは異なり、朝や放課後に練習して市大会を目指すクラブでした。私は4年生と6年生の時にクラブに参加しています。

合唱クラブの指導者は、音楽教諭の”美しい美しいマツナガ先生(自称)”です。
何より練習がスパルタだったのが美しさの秘訣でしょうか…。おかげさまで私は歌の必須アイテム、腹式呼吸を手に入れました。

中学、高校では学校内で合唱コンクールが存在しました。美しいスパルタ教育の成果で、私の音域はソプラノもアルトも歌うことが可能でした。結果、アルトパートが足りない時にはアルトを、ソプラノパートが足りない時にはソプラノを歌うことに

もともとカラオケで鍛え上げ、人より声量が大きく、腹式呼吸を手に入れた私は、全校生徒で斉唱しても私の声だけが聞こえていたそうですと保護者や先生から「今日もよく聞こえたよ!」と言われることもしばしば。ほとんど独唱です。

▼歌が歌える限り、生きていたい

最初は恥ずかしい思いもありました。もともとイジられキャラで、ちょっとしたことでからかわれることが多かった気がします。それでも歌に関してだけは誰かにイジられたり、バカにされることもありませんでした。堂々と胸を張って「そうです、私の歌はちゃんと届くんです」と思えました。

結果として私が音楽を好きでいられる理由の一つに「歌が歌える喜び」というものがあるのだと思います。

歌は、いつどこにいても奏でられる身体の楽器です。歌を歌うためには健康でいなくてはなりませんし、歌を歌うと元気になります。

バンドが解散したあと久しぶりに歌ったとき、自分の声量不足や腹筋の衰えにショックを受けたことがあります。いつでもまた歌えるように身体を整えようとヨガを始めました

落ち込んでいた時はできるだけ歌を歌いに行きました。歌う際に一番大切なことは呼吸です。それだけで身体中に酸素と血液が循環して、元気になりました。

「歌が歌えるなら、生きている価値は一つあるな」と感じつつ、最近は息子と一緒に「きらきらぼし」を歌いながら帰路についています。

JR銚子駅前のストリートピアノを弾く、やかと息子。

やか/イノウエアヤカ

1992年生まれ。横浜出身・銚子在住。
2011年、大学入学時にロックバンド・phonegazer(フォンゲイザー)を結成。ボーカルとして作詞・作曲を担う。同年、音楽ライターとしてフリーで活動開始。2015年にライブハウスシーン情報サイト・OTOZINEを創設、編集長を務める。2016年のバンド解散後、広告制作プロダクション、業界新聞、地方公務員へと転職し、クリエイティブと地域活性化の関わりに関心を持つ。
結婚、出産、実母の急逝、心身の不調などが続き、2022年10月、千葉県銚子市へ移住を決意。現在、脱サラ漁師の夫と長男の3人で、スローライフを大切に人生をリスタートしている。


【魚市場業務日報】銚子市漁業協同組合地方卸売市場

<1月 18日水揚げ量>
旋網(いわし)隻数=2     数量=294.6t
旋網(あじ) 隻数=1 数量=0.7t
旋網(さば) 隻数=17  数量=1768.3t
旋網(その他)隻数=18  数量=147.9t
底曳(打瀬)     隻数=5     数量=7.3t
底曳(小型)     隻数=6     数量=3.4t
廻船底曳   隻数=5     数量=5.2t
その他    隻数=39  数量=5.5t
合計     隻数=96 数量=2261.2t