銚子市と隣接したお隣の「東庄町」さんとのうれしい&新しい関係づくりがはじまったOSUSOWAKEパートナーシップから1週間。
今度は、遠く離れた「和歌山県有田郡広川町」さんのパートナーシップ登録が決まりました。

(木村先生の ”遠く離れていても援助ならぬ、遠助ができる!遠助でエンジョイ!” という明るい声が聞こえます♬)

12月21日。木村ゼミの活動の中で  広川町役場 総務課 防災担当 萩さんとZOOMでつなぎ、広川町を担当する千葉君を中心に、パートナーシップの内容を確認したり、学生一人ひとりから自己紹介をさせていただいたりしました。

交流のはじめには、広川町総務課長様から、濱口梧陵翁によって紡がれた広川町とのご縁が、「防災」をキーワードに若い世代へと引き継がれていくこと、OSUSOWAKEをきっかけに新しい交流の機会が得られることを大変うれしく感じている、というご挨拶をいただきました。

千葉科学大学はもちろんのこと、市民活動や文化活動でも兼ねてから交流があり、何より全国初『津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産』のストーリーが「日本遺産」に認定された広川町さんによるパートナーシップ登録は、日常からの防災意識の向上をテーマとするOSUSOWAKEプロジェクトを、次世代を含む様々な世代の方にお伝えしていくためにも意義深いことと感じています。

 
千葉君が「青澄祭では毎年1回の報告会を行っていこうと予定しています!来年、対面での開催ができたら、ぜひお出かけください!」という呼びかけに。萩さんが「ぜひ!そうしたいです。楽しみにしています!」「がんばってこちらでも広めていきますね!」とおっしゃってくださったことがとても印象的でした。

これまでも、本当にありがとうございました。そしてこれからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 「百世の安堵(あんど)」~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~

 広川町の海岸は、松が屏風のように立ち並び、見上げる程の土盛りの堤防が海との緩衝地を形づくり、沖の突堤、海沿いの石堤と多重防御システムを構築しています。 堤防に添う町並みは、豪壮な木造三階建の楼閣がそびえ、重厚な瓦屋根、漆喰や船板の外壁が印象的な町家が、高台に延びる通りや小路に面して軒を連ね、避難を意識した町が築かれています。

 江戸時代、津波に襲われた人々は、復興を果たし、この町に日本の防災文化の縮図を浮び上らせました。防災遺産は、世代から世代へと災害の記憶を伝え、今も暮らしの中に息づいています。

公式サイト:和歌山県 広川町役場 ~ 稲むらの火と笑顔のあるいきいきとしたまち 広川 (town.hirogawa.wakayama.jp)

☆彡 全国初の「防災遺産」のストーリーが「日本遺産」に認定されました。|広川町 (town.hirogawa.wakayama.jp)